Since 2010/7/21 Last Updated
当「青蛙亭漢語塾」では、今昔文字鏡関連ユーティリティの制作や発表に関して強い制限を付してきた文字鏡研究会とエーアイ・ネットに対し、強く抗議して戦う意思を表明してきました。 しかしその後、状況が大きく変化しました。2010年7月現在、もはやこのような戦いをする必要が一切なくなったと認め、ここにその戦いの終結を宣言します。 なお、当サイト内にいくつかある、文字鏡研究会とエーアイ・ネットに対して抗議の意思を表明した文書は、もはや完全に消去してもいいのですが、一度発表したものであり各種検索エンジンにも拾われており、リンクなさった方もいらっしゃると思うので、それぞれの文書の冒頭に「戦いが終結した」ことを大きく付記した上で、当分残しておき、時期を見て消去します。 なお、このページの執筆は、当サイトの管理人「青蛙亭主人」の妻・真理子が書いております。当サイトの管理人が長期療養中でページの執筆ができないためですが、内容に関しては青蛙亭主人の了承をとってあります。 2010年7月現在の、文字鏡研究会およびエーアイ・ネットの主張をまとめておきます。 このように、戦いの成果が一応あがったことによって、私たちも、文字鏡研究会およびエーアイ・ネットに対する「戦い」を、ひとまず終わらせることとします。 ここからは、青蛙亭主人の妻である私・真理子が今昔文字鏡について思っていることです。よって、主人の考えとは必ずしも一致していないことを申し添えておきます。 中国語はちょっとかじっただけ、漢文はそう得意ではなく、大学では英文学の卒論を書き、聖書が好きでギリシア語だのラテン語だのドイツ語だのと、主にヨーロッパの言語に親しんできた私には、今昔文字鏡のような漢字ユーティリティは無縁のはずなのですが、それでも日本語のWEBサイトを作っていると、やっぱり文字コードの問題は避けて通れません。 基本的には私のサイト(ばべるばいぶる、大川周明ネット)のすべてのページはUnicode(UTF-8)で書いてますし、聖書をはじめ各種文書のコードはすべてUTF-8です。 これらを携帯でも表示できるようにするためには、シフトJISに変換しなければいけません。最近のi-modeやEZ-WEBは、表向きの仕様書にはシフトJISじゃなきゃダメと書いてますけど、実際はUTF-8のページでも正常に表示してくれるみたいです。でもシフトJISに存在しない、つまりJIS第一、第二水準に存在しない文字は表示できません。 最近の携帯では、i-modeやEZ-WEBのような携帯専用WEB表示モードだけでなく、「PCサイトビューワ」などという名でPCのブラウザそっくりにWEBを見ることができるモードがあります。しかしそういうモードでも、Unicodeのすべての文字を表示してくれるわけではありません。ハングルやアラビア文字は無論のこと、漢字すらシフトJISに存在しないものは□などのように化けるのが普通です。 こんなふうに、まだまだUnicodeを使ったページは、うまく表示してくれないことが多いんですよね。ですから「UnicodeをシフトJISに変換し、変換できなかった文字は外字として画像表示する」というルーチンを自作して装着しています。 文語聖書や繁体字中国語版聖書などでは変な文字がいっぱい出てくるので、私のような漢字の苦手な女でも、今昔文字鏡のような漢字ユーティリティのお世話になることが多いです。 このように変な文字を使う文書を表示するWEBサイトを経営している私にとって、今昔文字鏡の利点の第一は、「変換できなかった文字の画像表示」。つまりGIFリンクサービスです。 GIFリンクサービスは実質的に隠し機能になっていて、知らなきゃまるっきり探せなくなっていますけど、上に書いたように、GIFリンクサービスに関する使用条件が新たに書かれたことで、こっそりサービスが終了されることもなく当分は存続されることが予想されます。ありがたい限りです。 GIFリンクサービスの画像は、主人の作った「ユーティリティ:今昔文字鏡テキスト生成器を使っていただければおわかりのとおり、あまり(非常に?)洗練されておらず、テキスト全体にほどこすフォントとして使用するには難があります。が、そこだけを外字として表示するぶんには逆に読みやすくなっていると思います。他の部分とフォントが異なっているほうが外字っぽく見えていいですから。 GIFリンクサービスの画像には24ドットと96ドットとありますけど、全部手作りみたいです。現在の今昔文字鏡の製品版には、アウトラインフォントからビットマップファイルを自動作成する機能がありますけど、それで生成された画像は、96ドットや128ドットでないときれいでなく、24ドットは使い物になりません。その点、GIFリンクサービスの画像は24ドットでもそのまま使用できるので便利です。 あと、今昔文字鏡の便利なのは、漢字の検索機能です。「漢字のパーツを指定してそのパーツを含む文字を検索」というスタイルの検索はとてもわかりやすく、一度使ってしまうとこれなしでは生きていけません。 最近、学研の『漢字源』という漢和辞典は、検索CD-ROMをつけて販売されるようになりました。最初は漢和辞典本体がすべてCD-ROM化されたのかと思って、それで3150円だったらとても安いので衝動買いしてしまいましたが、よくよく見たら文字の検索しかできず、検索したらそのあとは書籍本体を見なきゃダメなので、ちょっとがっかりです。 でも、検索機能だけでも電子化されたら、これはこれで便利です。なにしろ今昔文字鏡は、大漢和辞典の検索ソフトとしてスタートしたらしいです。今昔文字鏡で文字を検索すると大漢和辞典の巻・ページ数を表示してくれる機能がありますけど、あれがもともとの出発点だったんですよね。大漢和辞典は索引だけで分厚い1冊になっていて、私のように箸より重たいものを持ったことのない乙女(どこが!)には引くのに骨が折れますので、大漢和辞典を引くときには必ず今昔文字鏡を利用してます。 学研の検索CD-ROMはやっぱりパーツ検索法で、今昔文字鏡と同工異曲です。でも気になるのは、学研のほうには「特許」って書いてあるんですよね。今昔文字鏡のほうが元祖なのに。ひょっとして今昔文字鏡、特許とってなかったの? 学研に先を越されちゃった? 最近の今昔文字鏡は単なる文字検索ソフトをこえて、説文解字や康煕字典の情報がテキストデータで表示されるようになってますから、これが役立つようならもう堂々たる電子漢字字典として使えます。実際、まだまだろくな漢字字典がなかった明治の日本人は、康煕字典をそのままポケット版に縮刷したものを愛用してたらしいですから。真理子は康煕字典のテキストデータを読みこなすまでには至ってませんけど、これが利用できるようならとても便利です。 今昔文字鏡に関して真理子が感じる魅力は上記の二点につきます。コード体系としての今昔文字鏡にはまるきり魅力を感じません。 今昔文字鏡はもともと大漢和辞典の検索というところからスタートしたので、1~49964までは大漢和辞典の文字番号と同じコードになっています(厳密にいうとこれがウソであるのは、主人が書いた「戦いの呼びかけ」のとおりですが)。一部の図書館では、JISにない文字には大漢和辞典の文字番号を書いてあったりしますから、大漢和辞典の文字番号は一種のコードとして通用しているところがあります。だけど、実際には大漢和辞典も修訂のたびに文字番号にちょこちょこ手を加えているみたいですし、そもそも大漢和辞典は旧字体の時代の産物で、日本や中国の文字改革(改悪!?)を経た今や、大漢和辞典に存在しない文字は山ほどあります。ですから大漢和辞典の文字番号に準拠したコードなんて全然魅力的じゃありません。 まして、49964よりも上は、コードの並びになんにも必然性がありません。49964までだったら、それでソートすれば大漢和辞典の配列(つまり康煕字典など一般的な部首順字典)になるので便利かもしれませんが、それだったらUnicodeだって、CJK統合漢字(4E00-9FA5)のところはそういう順になってます。こちらは簡体字も入っているので、まだ大漢和辞典の番号より便利です。 上で、GIFリンクサービスは便利って書きましたけど、これを利用するためにはUnicodeなり何なりを、今昔文字鏡の番号に変換しなければなりません。Unicodeから今昔文字鏡の番号への変換テーブルは公開されてないので、主人の作ったUnicode-今昔文字鏡番号変換テーブルを使ってますけど、こういうものに頼らなきゃ使えないものって、不便かもしれません。Unicodeに準拠していたほうがはるかに手軽に使えます。Unicodeに準拠した画像表示サービスってないかしらね? そんなふうに思うくらいですから、今昔文字鏡のコードには全然魅力を感じていないし、変換の手間を考えると不便だなって思うほどです。 Unicodeも今ではExt-B(20000-2A6D6)という形で膨大な漢字が追加されましたので、たくさんの漢字が使えるという今昔文字鏡のメリットは完全に奪われてしまったようです。 最近ではGlyphWikiという、漢字グリフ(字形)を自由に共有するサイトもスタートしました。これが充実すれば今昔文字鏡のGIFリンクサービスは完全に命脈を絶たれることでしょう。 主人がいうように、今昔文字鏡も、どんどん積極的に無料フォントを配布したり、サードパーティに技術資料を公開して今昔文字鏡コードに準拠した美しいフォントやユーティリティを作ってもらったりとかすれば、ひょっとしたら今昔文字鏡のコードが漢字コードの標準になったかもしれないのに、目先の利益と権利を追ってしまったばっかりに、マイナーな存在に堕ちてしまったというところでしょうか。 |