1.死諸葛走生仲達 sǐ Zhūgě zǒu shēng Zhòngdá 死せる諸葛 生ける仲達を走らす [訳]死んだ諸葛亮(孔明)が、生きている仲達(司馬懿)を敗走させた 2.夫人蕩船而懼公 fūrén dàng chuán ér jù gōng 夫人船を蕩[ゆる]がして公を懼[おそ]れしむ [訳]夫人は船を揺らせて乗っている公をこわがらせた 3.命故人書之 mìng gùrén shū zhī 故人に命じて之を書[しよ]せしむ [訳]親友に命じてこれらを書き写させた |
1.天帝使我長百獸 tiāndì shǐ wǒ zhǎng bǎishòu 天帝我をして百獸に長たらしむ [訳]天帝は私をすべての獣の長としています 2.若敎韓信反何也 ruò jiāo Hán Xìn fǎn hé yě 若[なんぢ]韓信をして反せしめしは何ぞや [訳]お前が韓信を離反させたのはどうしてか 3.玉人何処敎吹簫 yùrén héchù jiào chuī xiāo 玉人何処[いづく]にか簫[せう]を吹かしめらるる [訳]美しいあの子は今頃いったいどこで簫を吹かせられているのだろうか 4.無令出境 wú lìng chū jìng 境を出でしむる無かれ [訳]国境から出してはならない 5.坐之堂下、賜僕妾之食 zuò zhī táng xià, cì púqiè zhī shí 之を堂下に坐せしめ、僕妾の食を賜ふ [訳]彼を建物の下に座らせて、使用人用の食事を与えた |
その例が上例3です。これは杜牧の『寄揚州韓綽判官』の結句ですが、末尾2字「吹簫」がどちらも平声なので、末尾3字が同じ平仄であってはならないという規則によって「敎」は仄声つまり去声jiàoということになります。そこで日本の解説書の多くは「あの美人はどこで吹簫を教えているのだろうか」式に訳していたりします。しかしここで「玉人」は芸妓のことなので、客に簫の吹き方を教えるはずもありません。客の前で簫を吹かせられていると解釈すべきで、「敎」は使役助字(もっともさらに受身の意味を補わねばなりませんが)ということになります。このようにjiàoと読んでも使役助字かもしれないので即断は禁物です。さて、使役文は「使役助字+人+動作」だったわけですが、今まで長々と述べたように使役助字はもともと動詞です。とすると使役助字の次の人は、使役助字という名の動詞の目的語になります。さらに「人」と「動作」の関係だけを取り出せば主語述語の関係になっています。つまり使役文は「使役助字+人」「人+動作」を合体させ、重複している「人」をまとめてしまったわけであり、こういう構文を兼語文と言います(→文法-五文型-兼語文)。