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文法-疑問・反語



  1. 疑問文・反語文について
     漢文の疑問文の作り方は大きくわけて、
    • 文末に疑問の助詞をつける
    • 疑問語を用いる
    の2つの方法があります。
     現代中国語ではこの2つは併用することができません。2つを併用した場合は、疑問語が不定の意味になってしまいます。しかし漢文では必ずしもそうではなく、この両者を併用する言い方もあります。
     たいていの疑問文は、修辞的疑問文、つまり反語文としても用いられます。疑問文と反語文の形式的相違はなく、どちらであるかは文脈で決まります。もっとも漢文の場合は、会話文ではなく文章言語なので、会話の応答を列挙するような文脈でなければかなり高い確率で反語文になるといえるかもしれません。
     中国語としての漢文の疑問文の作り方は特に難しいところはありませんが、訓読の場合は、文語日本語の疑問表現に関する理解が必要なので、少々やっかいな法則が必要になってきます。
     以下はまず中国語としての漢文の疑問文の作り方をまとめます。訓読も併記しますが、どうしてそう訓読するのかは後回しにしますので、訓読派の人は疑問文・反語文の訓読法をあわせ読んでください。



  2. 文末に用いる疑問助詞
    1.有一言而可以終身行之者乎 yǒu yì yán ér kěyǐ zhōngshēn xíng zhī zhě hū
     一言にして以て終身之を行ふべき者有りや
     [訳]一生実行していけるようなたった一言の言葉というのはありますか
    2.以臣弑君、可謂仁乎 yǐ chén shì jūn, kě wèi rén hū
     臣を以て君を弑[しい]す、仁と謂[い]ふべけんや
     [訳]臣下でありながら君主を殺すのは仁といえましょうか
    3.觀百獸之見我敢不走乎 guān bǎishòu zhī jiàn wǒ ér gǎn bù zǒu hū
     百獸の我を見て敢て走らざらんやを觀よ
     [訳]獣が私を見ると必ず逃げていくという様子をご覧なさい。
    4.其恕乎 qí shù hū 其[そ]れ恕[じよ]か
     [訳]それは恕(=思いやり)だろうな。
    5.誰加衣者 shuí jiā yī zhě 誰[たれ]か衣を加ふる者ぞ
     [訳]誰が衣をかけたのか

     疑問文の作り方は、文末に「乎 hū」などの助字をつけるというものです。語順の倒置など余計なことは一切せず、そのまま文末に「乎」などを接続させるだけです(1)。
     「乎」以外に用いられる疑問文用の助字には以下のようなものがあります。
    邪 yé・耶 yé
    也 yě
    與 yú・歟 yú
    哉 zāi
     上述のように疑問文はそのままの形で反語文にもなるので、文脈から判断して疑問の意味が単に修辞的なものであるなら反語文として解釈します。高校などでは反語文は「~だろうか、いや~ない」と訳すよう指導されたかもしれませんが、現実にはこれではくどすぎるので直訳的に「~だろうか」だけ(2)、あるいは意訳的に「~ない」だけにするのがふさわしい場面(3)もあります。
     また疑問文は詠嘆としても用いられます。詠嘆は「~なことだ」というわけですから、反語とはまるきり反対の意味になります。現代日本語でも「こんな南国に雪が降るのか」という文は、文末を上げて読めば疑問文に、さらには状況によっては「降るはずがない」という反語になるでしょうし、また文末を下げて読めば詠嘆文になるでしょう。このように疑問文が反語にも詠嘆にもなるというのは多くの言語に見られる傾向であり、漢文も例外ではないということです。
     上記の4は1の質問の答えになります。疑問の答えの中で「乎」を用いているので単なる疑問ではありえません。「恕かな?」「恕かもしれないね」という、はっきりした断定を保留する弱い疑問の言い方です。人によってはこういう用法も詠嘆に含む場合があります。
     「者」が疑問の助字として使われることがあります。具体的には「誰~者」で「誰が~か」という疑問(ないし反語)を表すのです(5)。この場合「誰」のところで「人」という意味が入っているのですから、「者」には「~する人」などの意味がありません。それでも訓読では伝統的に「~者ぞ」と読んでいますが、このような事情をふまえ、最近では「者」をまるで「乎」であるかのように「や・か」と読む流儀も増えました。上例5では「誰か衣を加ふる」と読むわけです。

     訓読ではこれらの文字を「や」「か」「かな」と読みます。このうち「かな」は詠嘆文のときの読み方です。
     「や」「か」の使い分けはなかなかやっかいですが、問いかけの度合いが強いものが「や」、問いかけの度合いが弱く詠嘆に近いものが「か」、というのが本来の区別です。上記1と4の問答で、1を「や」、4を「か」と読んでいるのはそのためです。
     反語はおおむね「や」になります。反語は疑問じゃないんだから問いかけの度合いが弱いじゃないかというかもしれませんが逆です。「どうして~だろうか」「いったい~のはずがあろうか」というふうにあまりに疑念の度が強いので「いや~であるはずがない」のように否定へとひっくり返るのです。
     なお、「か」は連体形に接続します。「や」は上の形に影響を及ぼしません。上の1では終止形に接続していますが、もし係り結びがあって連体形になっているならそちらが優先します。
     反語文の場合は推量の助動詞「ん」を用います。この点に関しては下の疑問文・反語文の訓読法2 文末の読み方を参照してください。



  3. 疑問語・1
    1.誰加衣者 shuí jiā yī zhě 誰[たれ]か衣を加ふる者ぞ
     [訳]誰が衣をかけたのか
    2.何憂何懼 hé yōu hé jù 何をか憂[うれ]へ何をか懼[おそ]れん
     [訳]何を心配し、何を恐れる必要があろうか
    3.蛇安在 shé ān zài 蛇[へび]安[いづ]くにか在[あ]る
     [訳]蛇はどこにいるのか
    4.何日是歸年 hérì shì guīnián 何[いづ]れの日か是れ歸[かへ]る年ぞ
     [訳]故郷に帰れる年はいつなのだろうか
    5.弟子孰爲好學 dìzǐ shú wéi hào xué 弟子[ていし]孰[たれ]か學を好むと爲す
     [訳]門人の中で誰が学問好きであると思いますか
    6.創業與守成孰難 chuàngyè yǔ shǒuchéng shú nán
     創業と守成と孰[いづ]れか難き
     [訳]門人の中で誰が学問好きであると思いますか
    7.汝與囘也孰愈 rǔ yǔ huí yě shú yù 汝と囘[くわい]と孰[いづれ/たれ]か愈る
     [訳]あなたと顔囘[=人名]とどちらが勝っているのですか
    8.古來征戰幾人囘 gǔlái zhēngzhàn jǐ rén huí
     古來[こらい]征戰[せいせん]幾人[いくにん]か囘[かへ]る
     [訳]昔から戦争に行って何人が帰れたというのか
    9.爲歡幾何 wéi huān jǐhé 歡[よろこ]びを爲[な]すこと幾何[いくばく]ぞ
     [訳]どれだけの間、楽しいことをすることができようか
    10.何能爾 hé néng ěr 何ぞ能[よ]く爾[しか]る
     [訳]どうしてそうできるのか
    11.巵酒安足辭 zhījiǔ ān zú cí 巵酒[ししゆ]安[いづ]くんぞ辭するに足らん
     [訳]さかずきについだ程度の少量の酒をどうして遠慮して飲まないことがあろうか
    12.豈遠千里哉 (qǐ/kǎi)(yuǎn/yuàn)qiānlǐzāi 豈[あ]に千里を遠しとせんや
     [訳]どうして千里を遠いと思って駆けつけないということがありませしょうか

     疑問文の作り方の二番目は、「何」「誰」などの疑問語を用いるというものです。おもな疑問語には次のようなものがあります。
    訓読訳例
    誰 shuí 孰 shúたれだれ(人を問う疑問代名詞)
    何 hé 曷 hé 奚 xī 烏 wūなになに(物を問う疑問代名詞)
    何 hé 安 ān 烏 wūいづくどこ(場所を問う疑問代名詞)
    幾 jǐいく・いくばくどれほどの(数量や程度を問う疑問形容詞)
    何 héなんぞどうして(疑問副詞)
    安 ānいづくんぞどうして(疑問副詞)
    豈 qǐあにどうして(反語をあらわす疑問副詞)
     上記は主なものであり、バリエーションがさまざまありますが、訓読の違いによってまとめると上記のように6系統しかありません。訓読にこだわらなければもっと簡単に4系統にまとめることができます。つまり「誰(人を問う疑問代名詞)」「何(その他の疑問代名詞)」「幾(数量を問う疑問形容詞)」「疑問副詞」です。
     英語の疑問詞はよく5W1H、つまりwhen(いつ)where(どこ)who(だれ)what(なに)which(どちら)how(いかに)といったりしますが、このうちwに相当するものが漢文では2種類しかありません。つまり「誰」と「その他」です。人を問う「誰」系統だけが独立してあるほかはオールマイティに「何」系統で表すということになります。非常にシンプルです。
     「それでは大雑把過ぎる、場所であることをハッキリさせたい」ならばどうしましょうか。「誰」系統も「何」系統も疑問形容詞として用いることができますから、たとえば場所ならば「何処 héchù (いづく・いづこ)」などのように「何」を疑問形容詞として用い、直後に場所を表す名詞を置けばいいのです。特に「いつ」に関しては一字で表現することができず、「何日hérì(いづれの日)」「何時 héshí(いづれの時)」などとするしかありません(4)。
     実は現代中国語でも疑問語は「谁」(だれ)系統、「什么・哪」(なに)系統、「几」(いくつ)系統しかなく、たとえば「いつ」は「什么时候」などとするしかありませんし、「どこ」は「什么地方」とか「哪里(=裏)」というしかありません。疑問語の系統がシンプルなのは昔も今も変わらず、ただ昔(漢文)は、それぞれの系統のバリエーションが多彩だったというのに過ぎません。
     それぞれの系統のバリエーションに関しては辞書を見てください。当サイトでいえばWEB支那漢です。たとえば「惡」をひくと「何なり」と出てきますから、「何」のバリエーションであることがわかります。
     訓読では人に関する疑問語は「たれ(だれ、ではありません)」、物に関する疑問語は「なに」と読むのが大原則です。なお、疑問形容詞の用法などで「たれ」に「の」が接続するときは「たれの」でもいいのですが通常は「たが」となります。「なに」+「の」は普通「なんの」です。
     ただし「どちら」という意味、つまりいくつかの選択肢の中から一つを選ぶ場合には「いづれ」という読み方があります。人の場合には「たれ」が普通ですが、2人のうちのどちらかというときは「いづれ」もありえます。事物の場合には2つのうちだろうと多数のうちだろうと何かしら選択のニュアンスが入れば「いづれ」が普通です(上例5-7)。
     「何」系統が場所を表しているときは「いづく」と読みます。「何処」に関しては「いづこ」「いづれのところ」と読む流儀もあります。上表の「いづく」のうち「安」は主に場所を問うのに用い、他の用途には用いられないようです(3)。
     「幾」(いく)は「幾人」などのように原則として次の名詞を修飾する形で用います。そうではなく単独に「どれほど」といいたいときは、ごくまれには「幾」だけの用法もありますが、たいていは「幾何」もしくは「幾許」とします。これら「幾」の単独用法は訓読では「いくばく」と読みます(上例8-9)。
     「どうして」という意味の疑問副詞は疑問で用いると原因や理由を問う意味になりますが、反語ではそのような意味を失い、単に「どうして~だろうか、いや~ない」という反語の意味を表すのみになります。ですから疑問よりも反語で用いることが圧倒的に多いことばです。なお、訓読では「豈」=「あに」は固定していますが、「なんぞ」と「いづくんぞ」とはオーバーラップしているところがあります。おおむね「何・奚・曷」は「なんぞ」、その他は「いづくんぞ」だろうと思いますが、人によって読みわけを異にしているところがあります(10-11)。



  4. 疑問語・2(「何」を用いた熟語)
    1.何以知其然邪 hé yǐ zhī qí rán yé 何を以て其の然[しか]るを知るや
     [訳]何を根拠にしてそれがそうであるということがわかるのか
    2.客何爲者 kè hé wéi zhě 客何[なに]爲[す]る者ぞ/客何[なん]たる者ぞ
     [訳]あなたは何をするのか/あなたはどういう者なのか
    3.何爲不去也 hé wéi bú qù yě 何爲[なんす]れぞ去らざるや
     [訳]どうして立ち去らないのか
    4.善之與惡相去何若 shàn zhī yǔ è xiāng qù héruò 善の惡と相去ること何若[いかん]
     [訳]善と悪とはどれだけ違いがあるというのか
    5.此爲何若人 cǐ wéi héruò rén 此[これ]何若[いか]なる人たる
     [訳]これはいったいどんな人であろうか
    6.如吾民何 rú wú mín hé 吾が民を如何[いかん]せん
     [訳]私が治める民をどうしてやることもできない
    7.此何遽不爲福乎 cǐ héjù bù wéi fú hū 此[これ]何遽[なん]ぞ福と爲さざらんや
     [訳]どうしてこれが幸福にならないだろうか

     「何」の系統にはいろいろ熟語的用法があります。
     まず「何以 héyǐ」「何由 héyóu」「何爲 héwèi」のように前置詞とともに用いられるものです。後述のように漢文では疑問語が述語の来る傾向があり、それは前置詞でも同じです。ですから「以何」「由何」「爲何」ではなく「何以」「何由」「何爲」のようになるのです。
     「爲」は去声(現代北京語ではwèi)で読むと「~のため」という前置詞ですが、上声(現代北京語ではwéi)で読むと「する」「である」という意味をもつ動詞になります。「何爲」でも例外ではなく、héwèiではなくhéwéiのほうもあるわけです。「爲(wéi)」という動詞は多義語なので、「何爲」も意味をしっかりとらねばなりません。訓読の場合も意味によってさまざまです。上例2は、「爲」が「する」なのか「である(訓読は「たり」)」なのかによって解釈や読みが変わってくる例です。そして「何爲」には「どうして」という熟語的疑問副詞の用法があり、このときは「なんすれぞ」と訓読する習慣になっています(8)。
     「何如」は「何以」同様に前置詞の前に「何」が移動した形であり「どのようであるか」という形容詞的な意味を持つ疑問になります(4)。ところが「如」には「~のようにする」という動詞の意味もあり、この意味(どうするか)の疑問の場合は「如何」のように語順の倒置が起こりません。まとめると、
    • 何如……どうであるか(形容詞的意味)
    • 如何……どうするか(動詞的意味)
    というわけです。どちらの形も「如」のかわりに「若 ruò」「奈 nài」などを用いることができます。
     「何如」のほうは形容詞的なので名詞を修飾することができますが、このときは訓読では「いかなる」と読みます(5)。
     「如何」のほうは動詞的なので目的語を取ることができますが、このときは「如~何」のように如と何が分離し、その間に目的語が入ります(6)。
     訓読ではどちらも「いかん」ですが、「如何」のときは動詞的なので「いかんす」のようにサ変動詞として読むことも多いです。「如~何」は「~をいかん(す)」のように読みます。
     「何遽 héjù」「何居 héjū」「何渠 héqú」などは疑問副詞であり「何」と同じです。訓読はふつう「なんぞ」ですが、「いづくんぞ」と読む人もいます。



  5. 疑問語の用法
    1.誰加衣者 shuí jiā yī zhě 誰[たれ]か衣を加ふる者ぞ
     [訳]誰が衣をかけたのか
    2.吾誰欺 wú shuí qī 吾誰をか欺かん
     [訳]私は誰を欺いたりしようか
    3.此何遽不爲福乎 cǐ héjù bù wéi fú hū 此[これ]何遽[なん]ぞ福と爲さざらんや
     [訳]どうしてこれが幸福にならないだろうか
    4.王何必曰利 wáng hébì yuē lì 王(よ)何ぞ必ずしも利と曰[い]はん
     [訳]王様、必ずしも利益とばかり言うことはありません
    5.盍反其本矣 hé fǎn qí běn yǐ 盍ぞ其の本に反[かへ]らざる
     [訳]どうしてその根本に立ち返らないのか
    6.堯舜其猶病諸 Yáo Shùn qí yóu bìng zhū 堯舜も其れ猶ほ諸[これ]を病めるか
     [訳]堯や舜でもやはりこれを悩んでいたのだなあ
    7.視吾舌、尚在不 shìwúshé、shāng zài fǒu
     吾が舌を視よ、尚[な]ほ在りや不[いな]や
     [訳]私の舌を検査してくれ。まだ(抜かれずに)存在するかい
    8.寒梅著花未 hánméi zhù huā wèi 寒梅花を著[つ]けしや未[いまだ]しや
     [訳]寒梅は花が咲いたかい
    9.役夫敢申恨 yìfū gǎn shēn hèn 役夫敢へて恨みを申[の]べんや
     労役に服する私は、どうして恨みを申し上げましょうか
    10.觀百獸之見我敢不走乎 guān bǎishòu zhī jiàn wǒ ér gǎn bù zǒu hū
     百獸の我を見て敢て走らざらんやを觀よ
     [訳]すべての獣が私を見ると必ず逃げていくという様子をご覧なさい。
    11.君不見黃河之水天上來 jūn bú jiàn Huánghé zhī shuǐ tiānshàng lái
     君見ずや黃河の水の天上より來[きた]るを
     [訳]ほら、黄河の水は天の上から流れてくる

     ここでは今までの疑問文に関する説明の補足をします。

     疑問語の用法については現代中国語と大きな相違点があります。現代中国語では疑問文だからといって語順が変更されることはありません。「本を読む」が「看书」ならば、「何を読む?」も「看什么」です。しかし漢文では疑問語が前に出ようとする傾向があります。つまり目的語を問う疑問文では疑問語が目的語の位置にとどまらず、述語の前に出てくる傾向があるのです。具体的には下のとおりです。
    意味現代中国語漢文
    誰があなたに教えたのか谁告诉你?誰教汝(たれか汝に教ふる)
    あなたは誰に教えたのか你告诉谁?誰汝教(たれにか汝教ふる)
    汝誰教(汝たれにか教ふる)
     この点では英語にちょっと似ています。英語でも「あなたは誰に教えたのか」はWho did you tell? のように疑問語が文頭に来るでしょう。漢文の場合は、疑問語は必ずしも「誰汝教」のように文頭まで飛んでくるわけではなく、むしろ「汝誰教」のように中途半端な飛び方をすることのほうが多いのですが、いずれにせよ疑問文の場合にこのような語順の変化が起こることに注意してください。
     ヨーロッパ諸語にみられるような格変化が漢文にはないため、疑問語の語順が変更されると、格の関係を語順で判断しにくくなります。現代中国語では疑問文でも語順が変化しないので「谁」が述語の前にあれば原則として「誰が」という主語を表すと判断できますが、漢文では述語の前の「誰」は「誰が」かもしれませんし「誰を」「誰に」かもしれません。文脈からしっかり判断することです。(上例1-2)

     反語文は否定と同じになるので、文法-否定で述べたことが同様に適用されることが多いです。たとえば「何必~」は「不必~」と同じなので部分否定ということになり「どうして必ず~だろうか、いや必ずしも~というわけではない」という訳になります。そして訓読ではやはり「何ぞ必ずしも~」のように部分否定の読み方になります(上例3)。

     現代中国語では、疑問語を用いた場合には「吗」などの文末の疑問助詞を用いてはいけません。疑問語には不定代名詞としての意味もあるので、「吗」などを併用すると不定の意味になってしまいます(たとえば上表の「谁告诉你?」を「谁告诉你吗?」とすると、「誰かがあなたに教えたのか」という意味になってしまいます)。漢文では特にそのような法則を明記した本はないようですが、それでもやはり疑問語を用いた場合は文末に「乎」を用いにくいところがあります。ただし反語文では疑問語の意味がうすれるので、文末の疑問助詞との併用のケースがけっこうあります(上例4)。

     文法-否定-部分否定のところで述べたとおりです。

     詩によく出てくる「君不見 jūn bú jiàn」「君不聞 jūn bù wén」はどこにも疑問の言葉がありませんが「君は見ないか/聞かないか」→「君も見たろう/聞いたろう」という意味で用いられる慣用表現です。英語のyou know や you seeのようなあいづち語です。訳者によりさまざまに工夫して訳されており、上では「ほら」と訳してみました。



  6. 疑問文・反語文の訓読法1 疑問語の読み方
     訓読では文語日本語の文法にかなった形で読まねばならないので、文語日本語の疑問文の形を知らねばならないうえ、それと原文の形とを整合させるためにいろいろやっかいな規則が生まれてきます。
     まずは疑問語の読み方です。基本的には各文字に定められた訓読みにしたがって読めばいいのですが、疑問語には「何」=「なに、なんぞ、いづれ、いづく」などのように多義語が多いので、意味をとってからでないと読めません。「まずは訳を考えて、それに見合う読みを考える」という姿勢が、疑問文では特に求められるところです。
     各疑問語の具体的な読み方は上の疑問語でまとめているのでそれを参照してください。
     「なんぞ」「いづくんぞ」などのように「ぞ」のついた語(疑問副詞です)はこれでおしまいです。次の疑問文・反語文の訓読法2 文末の読み方に進んでください。
     「ぞ」のつかない疑問語の場合は、疑問語の直後に、必要に応じて助詞「を」「に」「と」「より」を挿入します。漢文では目的語のあとに助詞「を」「に」「と」「より」が必須です。それは疑問語であってもかわりません。逆に主語のあとには助詞が不要なので、疑問語が主語になっているときには助詞は不要です。漢文の疑問語は英語同様に文頭に置かれるので、主語になっているか目的語になっているかが語順で判断できませんので、意味をとってからでないと読めません。ここでもやはり「まずは訳を考えて、それに見合う読みを考える」という姿勢が求められるというわけです。
     さらに疑問語の直後には「か」をつける必要があります。現代日本語では「飯を食った?」のように文末に「か」を用いますが、もともとの日本語では、「飯や食ふ」「飯か食ふ」のように文中に「や」「か」を用いたのです。文末に「か」をつける流儀は実は漢文訓読で文末の「乎」を「や」「か」と読む過程で生まれた新しい言い方なのです。文中のどこに「や」「か」をすべりこませるか、また「や」「か」のどちらを用いるのかはいろいろ規則がありますが、漢文訓読では疑問語の直後に「か」を入れる用法しか出てきません。
     「何花」のように疑問語が他の名詞を修飾している場合は、「何の花をか」のように、次の名詞までひとまとめにしたうえで「か」をつけますし、「何以」「何由」「何爲(wèi)」のような前置詞とセットになったものも「何を以てか」「何に由りてか」「何の爲にか」などのように前置詞のあとに「か」をすべりこませます。
     なお、文末に「乎」などの疑問助字が存在する場合は、そこで「や・か」と読まねばならないので、重複をさけるために疑問語の直後の「か」を省略するのが普通です。



  7. 疑問文・反語文の訓読法2 文末の読み方
     疑問文では文末の用言は連体形になります。もともと日本語では疑問語があると(「ぞ」「なむ」「や」「か」という係助詞がなくても)文末を連体形にするという法則がありますし、漢文訓読では疑問語の直後に「か」がつくか、もしくは疑問語に「ぞ」が含まれるので、係り結びで連体形になるのです。
     述語が名詞あるいは疑問語で、「~であるか?」という意味の疑問文では、その名詞のあとに「ぞ」をつけます。この「ぞ」は係助詞ではなく、断定の意味をもつ終助詞です。
     訓読では疑問文と反語文とを読み分けます。反語文の場合は述語に助動詞「ん」を接続させます。「べし」に「ん」を接続させると「べけん」という特殊な形になります(→文法・助動詞)。以前は「なし(=無し)」の場合も「なけん」となる流儀がありましたが現在の高校の教科書では採られておりません。
    助動詞「ん」(=「む」)はあくまで推量の意味であり、別に反語の意味があるわけではないのですが、反語文の訳は「どうして~だろうか。いや~でない」のように推量表現を用いることが多いことから、反語文には推量の助動詞「ん」が多く用いられ、そこからいつしか「反語文には「ん」を接続させる」という規則めいたものが生まれたようです。現在の高校生用教科書では、疑問文は「ん」ナシ、反語文は「ん」アリで通していますが、まれにこの原則をはずしているものがあります(次の文法-仮定に出てくる例文「必不得已而去、於斯三者何先」などはその例であり、疑問文でありながら末尾を「何をか先にせん」と読んでいます)。
     ただし反語文の中には「ん」を用いない訓読が定着している表現がいくつかあるので、それだけは例外ということになります。それは次のとおりです。
    何不 hé bù ~ 盍 hé ~ なんぞ~ざる どうして~しないのか、すればよいのに
    不亦 bú yì~ 乎 hū また~ずや なんと~ではないか(~なことだ)
    非 fēi ~ 乎 hū ~にあらずや ~ではないのか(~だ)
     文末の「乎」などの読み方は上でもう述べたように「や」「か」などとします。「乎」などの文字がない場合にも送り仮名で「や」を補ってしまう流儀もあります(特に反語の場合)が、現在の高校の教科書ではあまりそういうことをしないようです。もっとも上に出てきた「君不見 jūn bú jiàn」などのように、文末に「乎」もなく疑問語もないという疑問文では「君見ず」とのように送り仮名で「や」を補うということはあります。