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文法-限定・累加


 「~なのだ」という断定表現を強調すると、「他の可能性はないのだ。ただ~だけだ」という限定表現になります。またこれの否定は「ただ~だけではない。別の可能性もあって、さらに~だ」というふうに別の可能性を付け加える表現となり、漢文ではそれを「累加」と呼んでいます。
 これらは「惟」などの副詞と「已」などの文末助詞で表現できます。累加表現の場合には次の「さらに~だ」の部分に接続詞や副詞が登場するかもしれません。ですから音読では大して難しいことはありませんが、訓読ではけっこう細かい約束事がさまざま発生します。ですから伝統的な漢文学習ではこれらをとりたててしっかり学習します。

  1. 「惟」などの助字を用いる
    1.無恆產而有恆心者、惟士爲能
     wú héngchǎn ér yǒu wú héngxīn zhě, wéi shì wéi néng
     恆產無くして恆心有る者は、惟[た]だ士のみ能[よ]くすることを爲[な]す
     [訳]定職がないのに道徳心を保つということは、士だけができることである
    2.空山不見人、但聞人語響 kōng shān bú jiàn rén, dàn wén rényǔ xiǎng
     空山人を見ず、但[た]だ人語の響きを聞くのみ
     [訳]さびしいこの山では人を見ることはなく、ただ人の言葉を聞くだけだ
    3.藺相如徒以口舌爲勞而位居我上
     Lìn Xiāngrú tú yǐ kǒushé wéi láo ér wèi jū wǒ shàng
     藺相如[りんしやうじよ]徒[た]だ口舌を以て勞を爲して位我が上に居り
     [訳]藺相如は口先によって功績をあげただけで私より上位になった
    4.今獨臣有船 jīndúchén(yǒu/yòu)chuán
     今獨[ひと]り臣のみ船有り
     [訳]今、私だけが船を持っています。
    5.吾以捕蛇獨存 wú yǐ pǔ shé dú cún
     吾[われ]蛇を捕らふるを以て獨り存す
     私だけは蛇を捕らえる仕事のおかげでここで生活しております

     限定を表すには、「惟」などの助字を用います。「惟」以外には唯、只、祇、止、直、徒、但、特、啻、獨、僅、纔などいろいろあります。ずいぶんたくさんありますが、すべての字が同じように用いられるわけではありません。それぞれ微妙な意味・用法の違いがあります。簡単にまとめていきましょう。
    1. 惟 wéi、唯 wéi……もともと(詩経や書経の時代)、主題語の前につけて主題語をとりたてて強調するはたらきをしました(その際は訓読では「これ」と読むのが普通です)。そういう名残で、文頭の主語を強調・限定する用法の多い字です(上例1)。「唯」との違いは字体の違いにすぎません。
    2. 只 zhǐ、祇 zhǐ、止 zhǐ……一般的な「ただ~だけ」つまり「範囲が以下の動作に限られる」ことを示します。
    3. 直 zhí……「まさしく~だ、ぴったり~だ」という意味を表します。
    4. 徒 tú……「むなしく~するだけだ」という意味を表します。
    5. 但 dàn……「原則はこうだが、ただし~を除く」という意味を表します。文副詞として文頭に用いることも多い字です。
    6. 特 tè……「ことに~だ、とりわけ~だ」という意味を表します。
    7. 啻 chì……否定や反語表現をともなって後述の累加表現で用いることの多い字です。
     ここまでの字は訓読ではすべて「ただ」と読みます。以下は「ただ」以外の読み方をする字です。
    1. 獨 dú……「ひとり」と訓読し、「~一人だけ」という意味で用いられることの多い字です。
    2. 僅 jǐn、纔 cái……「わづかに」と訓読し、「やっと~だけ」という意味を表します。なお「纔」は現代語の「才 cái」に相当しますが、現代語で用いられる「たった今~したばかり」とか「…してはじめて~」などの意味は漢文では用いられないようです。
     これらは副詞なので原則としては述語の前におかれますが、文副詞として文頭におかれることもあります。
     訓読では上記のように「ただ、ひとり、わづかに」と読むだけでなく、この字がかかる部分に「のみ」を送ります。ただし、文末に「のみ」を送る場合(言い換えれば文全体にかかる場合)には「のみ」を省略する場合があります。



  2. 「已」などの文末助字を用いる
    1.前言戲之耳 qiányán xì zhī ěr
     前言は之に戲[たはむ]れしのみ
     [訳]さっきの言葉はからかっただけだ
    2.書足以記名姓而已 shū zú yǐ jì míngxǐng éryǐ
     書は以て名姓を記すに足るのみ
     [訳]文字は自分の姓名を書くのに役に立つにすぎない。
    3.放辟邪侈、無不爲已 fàng bì xié chǐ、wú bù wéi yǐ  放辟邪侈[はうへきじやし]、爲[な]さざる無きのみ
     [訳]わがまま、ひがみ、よこしま、ぜいたくなど、どんなことでもしてしまうのである。

     限定を表すもう一つの方法は、「已」などの文末助字を用いる方法です。「已」以外には「耳」「爾」があり、また「而已」「而已矣」「也已」「已夫」などのように他の助字と組み合わせても用いられます。訓読の場合はこれら組み合わせ型も含めてすべて「のみ」と読みます。「而已」「而已矣」などのように置字扱いされる文字と組み合わされたときは、全体を「のみ」と読むかのような処理をします。また通常は置字扱いされない文字と組み合わされた「也已」「已夫」を、「なるのみ」「のみかな」などと読まないように注意しましょう。すべて全体を「のみ」と読みます。
     もちろん前項の「惟」などとの助字と併用することもできます。
     これらは文末助字ですから前項の1.の後半のように主語だけにかかるというような使い方はできず、文全体にかけて「~だけだ」という意味を表す用法しかありません。また、文脈によっては「だけだ」という訳ができず「~にすぎない」「まさに~だ」などのように訳語の工夫をしないといけないことがあります。限定は「強い断定」でもあるので、限定の訳ができないときには断定で訳してみることです。



  3. 累加
    1.非徒無益、而又害之 fēi tú wú yì, ér yòu hài zhī
     徒だに益無きのみに非ず、而[しか]も又た之を害す
     [訳]単に利益がないだけでなく、さらに害していることになる。
    2.豈惟怠之、又從而盗之 qǐ wéi dài zhī, yòu cóng ér dào zhī
     豈[あ]に惟だに之を怠るのみならんや、又た從ひて之を盗む
     [訳]単に仕事を怠けるだけでなく、その職務に乗じて横領までしている。
    3.非獨賢者有是心也、人皆有之 fēi dú xiánzhě yǒu shì xīn yě, rén jiē yǒu zhī
     獨り賢者のみ是[こ]の心有るに非ざるなり、人皆之有り
     [訳]ただ賢者だけがそういう心を持っているのではなく、人は誰でも持っている

     限定文の否定は、「ただ~だけでなくまた…」のように、他の場合があるという意味になるので、特に「累加」と呼びます。
     現代中国語では「不但~而且…」などのように、後半部に「而且」「并且」「也」「还」などといった接続詞や副詞と呼応する文型になります。漢文でもやはり後半部で「而」(訓読では「しかも」と読むこともあり)「又」「亦」などという接続詞や副詞と呼応することが多いですが必須ではありません。また前半部に反語表現を用いることもできます。
     訓読の場合、「ただ」と読んでいた文字は「ただに」のように「に」をつけます。「ひとり」「わづかに」などはそのままです。
     そして前半部の「ただ~のみ」が前半部全体にかかる場合、前半部の最後に「のみ」が来ることになります。前半部が「非」を使った否定の場合は、「~にあらず」をいきなり文末の「のみ」に接続して「のみにあらず」と言えるので問題ないのですが(上例1)が、否定の「ず」や反語の「んや」の場合は「のみず」「のみんや」などと言えませんので、「のみならず」「のみならんや」のように「なり」を連結器に使います(上例2)。
     前半部の「ただ~のみ」が主語にしかかからないなどで、前半部の最後に「のみ」がこなければ、こういう問題は起こりません(上例3)。
     なお、一般的に反語文では文末に「也」「乎」など「や」と読める文字がない場合には必ずしも「や」を送らなくてもいいのですが、累加の場合は必須で、かならず「や」をつけねばなりません(上例2)。