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古之學者爲己、今之學者爲人などとあれば、「古」「今」という語のおかげで前の「爲」が過去で、後の「爲」が現在であることが明らかです。仮にそういう語がなかったとしても、文脈を見ればだいたい解決するものです。不便というならば、むしろ、時によって動詞の語形を変化させねばならないヨーロッパの言語のほうが不便といいうるかもしれません。
gǔ zhī xué zhě wèi jǐ, jīn zhī xué zhě wèi rén.
古の學者は己の爲にし、今の學者は人の爲にす
[訳]昔の学者は自分のために勉強したものだが、今の学者は人に知られるために勉強している。
1.有一言而可以終身行之者乎 yǒu yì yán ér kěyǐ zhōngshēn xíng zhī zhě hū 一言にして以て終身之を行ふべき者有りや [訳]一生実行していけるようなたった一言の言葉というのはありますか 2.以臣弑君、可謂仁乎 yǐ chén shì jūn, kě wèi rén hū 臣を以て君を弑[しい]す、仁と謂[い]ふべけんや [訳]臣下でありながら君主を殺すのは仁といえましょうか 3.觀百獸之見我敢不走乎 guān bǎishòu zhī jiàn wǒ ér gǎn bù zǒu hū 百獸の我を見て敢て走らざらんやを觀よ [訳]獣が私を見ると必ず逃げていくという様子をご覧なさい。 4.其恕乎 qí shù hū 其[そ]れ恕[じよ]か [訳]それは恕(=思いやり)だろうな。 5.誰加衣者 shuí jiā yī zhě 誰[たれ]か衣を加ふる者ぞ [訳]誰が衣をかけたのか |
邪 yé・耶 yé上述のように疑問文はそのままの形で反語文にもなるので、文脈から判断して疑問の意味が単に修辞的なものであるなら反語文として解釈します。高校などでは反語文は「~だろうか、いや~ない」と訳すよう指導されたかもしれませんが、現実にはこれではくどすぎるので直訳的に「~だろうか」だけ(2)、あるいは意訳的に「~ない」だけにするのがふさわしい場面(3)もあります。
也 yě
與 yú・歟 yú
哉 zāi